Student works
学生作品
市原百・山本凜子MOMO Ichihara / RINKO yamamoto
喫茶イシュー
アートプロジェクト
2024
「時間や記憶の循環」をテーマに、社会と個人を繋ぐ「あわいの場」を作るアートプロジェクト。あらゆる場所で、実験・リサーチとして展示・イベントを行いつつ、 2024年9月から12月までは、2号館2階にある体育準備室を拠点に運用していった。 喫茶イシューを構成する要素として「アート」「喫茶店」を以下のように定義する。 アート:利益・社会的意義は持たない根源的な表現欲 /他者の評価や常識に囚われないもの/意味を持たなくても良いもの/本来は誰しらが持っているもの/コミュニケーションツール 喫茶店:文化交流の場/対話の場/直接的にも間接的にも他者を感じることができる場/多様な人の時間が 蓄積された社会の中の恒常的な「居場所」 情報に溢れ、温度感を失いっっある現代社会の中に、時間的/空間的”余白”を生み出すことで、自己の感覚を思い出し、ほっとひと息つけるような安息地をつくることを目指す。 (撮影:木奥恵三)
井口結月YUZUKI Iguchi
いつかの終わりと いつかの続き
インスタレーション/映像(17分 21秒)/H2650xW2135xD243mm (サイズ可変)
2024
身体の内側で痛みが起こっていたとしても、外側からは視えず、聞こえず、本人が声を上げなければ気づくことはできない。 私の内側に現れた痛みは、お腹の痛みだった。ゆっくりと、じわじわと、ときに握りつぶされたかのような、神経が輝れるような、不規則に続く痛み。私の日常を一変させたお腹の痛みは「過敏性腸症候群」と診断された。 毎日繰り返されていくこの痛みが、いつか終わることを何百回と願ってきた。しかし、もう日常の一部となったこの痛みは、次の日へ、また次の日へと続いていく。 いつか終わって欲しいと願っても、その“いつかの終わり”は一日だけで、今も、そしてこれからも“いつかの続き”が繰り返されていく。 ミシンの灯りがついたとき、私が感じたお腹の痛みが鑑賞者の前に現れる。他者が痛みを感じた瞬間と出会った時、日常の中で気づくことのなかった、誰かの痛みに気づくのではないだろうか。毎日繰り返されてきた痛みと、今この瞬間に現れている痛みを可視化することで、誰しもが抱えているかもしれない痛みと出会うことを試みる。 (撮影:木奥恵三)
北浪あぐりAGURI Kitanami
馴染
ミクストメディア/映像(8分48秒)/H2300xW7000 mm
2024
伝統芸能のひとつである能は、なかなか馴染みがない人もいるかもしれません。けれど、あなたの日常の中にも能に似た要素は潜んでいるかも。 私には、能楽師の家族がいます。今回は能の外側・日常から能に親しめないか、ということを試みました。 祖父の家にある能舞台の「鏡板」と呼ばれる部分に、私が身の回りで“能らしさ”を感じた風景と、同じく雰囲気が近いと感じた、ガストン・ルルー原作の『オペラ座の怪人』を新作能として構想したものの一部を再現した映像(演者/北浪貴裕、台本/見上空)を投影しています。 (撮影:木奥恵三)
水澤汐音MIZUSAWA Shione
original star
インスタレーション、映像 /11 分、28 分 18 秒
2024
落ち込みながら自転車を漕いでいた時、坂に差し掛かってふと空が視 界に入ると、大きな流れ星が目の前を通り過ぎた。この一瞬の出来事が、 それまでの気持ちと視界を反転させ、今でも鮮明な体感として記憶に 残っている。 本作品では、身体を光(星)として、一体となって空を駆けることで、 私自身が誰かにとっての流れ星になることを試みた。人工的に新たな 物質を作り、託すのではなく、既に存在する私という身体を用いて、 オリジナルで唯一無二の瞬間を生み出そうとした。 (撮影:木奥恵三)